大判例

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福岡高等裁判所 昭和49年(う)612号 判決 1975年8月06日

主文

原判決を破棄する。

本件を長崎簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山中伊佐男が差し出した控訴趣意書および同追加書ならびに補充陳述書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

所論は要するに、原判決は、被告人が番犬照美号の飼主としてこれを飼育していたのであるから、首輪が抜けないよう完全に係留しなければならないのに、飼育補助者キク子が首輪を同犬にはめた際、その締め方が緩く抜けるおそれがあったのに、被告人が漫然とこれを放置した過失により、首輪が抜け、同犬が被害者田原留美子に咬みついて傷害を負わせた事実を認定したが、右は事実を誤認し、ひいて法令の適用をも誤ったものである。すなわち、照美号の飼主は被告人の妻キク子であり、被告人は殆ど出稼により出張していたのであって、平均一ヶ月に一回か二回程度自宅に帰っていたのに過ぎないのであって、右番犬の飼育、管理は全てキク子がこれに当っていたのである。被告人は出張中で具体的事情は何一つ知らなかったのであって、事故の発生を予見し得る可能性はなかったのであるから、被告人には何等の過失もない筈である。しかるに原判決は事実を誤認して被告人の過失を肯定し、これを前提として刑法二〇九条を適用したのは、法令の適用を誤ったもので、破棄を免れ難い、というのである。

職権により審査するに、本件訴訟については公訴提起後数次に亘って、訴因罪名罰条の変更、罪名罰条の一部撤回、予備的訴因の追加等の手続が行なわれているが、これを整理すると最終的には、

本位的訴因として「被告人は、中型日本犬照美号(通称テル)の飼い主で、長崎市戸町二丁目三九番地の自宅屋敷内でこれを飼育していたものであるが、このような場合飼主は首輪が抜けないように完全に係留して人畜に害を及ぼさないように飼育する注意義務があるのにこれを怠り、昭和四八年六月二二日午後四時三〇分ころ、前記飼犬照美号を完全に係留していなかった過失により、その首輪が外れていたため、同犬が同屋敷内で田原留美子(当一一年)の左大腿部および右下腿部に咬みつき、よって同人に対し治療約一ヶ月間を要する左大腿、右下腿部犬咬傷を負わせたものである。罪名、過失傷害、罰条刑法二〇九条」というのであり、

予備的訴因として「被告人は、中型日本犬照美号(通称テル)の飼い主であり、長崎市戸町二丁目三九番地の自宅屋敷内でこれを飼育していたものであるが、同犬は番犬で人に吠えたら咬みつく習癖があるので特に丈夫なくさり若しくは綱でつなぎかつその首輪は犬の首が抜けないように適度に締め人畜その他に被害を与えることがないように完全に犬小屋に係留するは勿論、自己の留守中は家族をして常に右係留を確認さすべきであったのに、かねて首輪の締め方がゆるく犬の首が首輪から抜けるおそれのある状態を放置し、昭和四八年六月二二日午後四時三〇分ころ、同町内に住む田原留美子(当一一年)が同屋敷内に入った際、たまたま同犬が首輪が抜けて犬小屋を離れていたため、同女の左大腿部および右下腿部に咬みつき、よって同人に対し、治療約一ヶ月間を要する左大腿、右下腿部犬咬傷を負わせたものである。罪名、長崎市犬取締条例違反、罰条、同条例三条一項一号、八条一項」というのである。

これに対し原判決は犯罪事実として「被告人は、中型日本犬照美号(成犬牝、通称テル)の飼主であり、長崎市戸町二丁目三九番地の自宅屋敷内(犬小屋は同屋敷内の西北隅付近)でこれを飼育していたものであるが、同犬は番犬で気が荒く、人に吠えたり飛びかかったりなどする習癖があるので、特に丈夫な鎖でつなぎ、かつ首輪が抜けないように適度に締めるなどして、完全に係留して人畜に危害を及ぼさないように飼育すべき注意義務があるのに、昭和四八年四月中旬ころ、被告人の妻であり同犬の飼育の補助者であるキク子が、新しい首輪を購入して同犬にはめた際、その締め方が緩く、首輪が犬の首から抜けるおそれがあったのに、漫然とこれを放置した過失により、同年六月二二日午後四時三〇分ころ、たまたま首輪が抜けて同犬が犬小屋を離れていたため、田原留美子(当一一年)が同屋敷内に入った際、表門から約四、五メートル西方付近の屋敷内において、右照美号が同女の左大腿部および右下腿部に咬みつき、よって同人に対し治療約一ヶ月間を要する左大腿、右下腿部犬咬傷の傷害を負わせたものである。」との事実を認定し、これに刑法二〇九条を適用したことが明らかであり、さらに原判決は、結果回避の可能性について「被告人は、昭和四八年四月中旬の首輪の取替え後も、相当日数照美号の管理に当っていたので、首輪が抜けないように堅く締め直すなどの機会は十分にもち得たものというべきであるから、被告人についても具体的な結果回避の可能性があったものと認める。」と補足説明しているのである。以上のごとき原判決の判示犯罪事実は、前記の本位的訴因に基づいて認定されたものであることはいうまでもない。

そこで、右の本位的訴因事実と原判決の認定事実とを対比して考察すると、被告人が番犬照美号(以下テルと称する。)の飼主で、これを飼育していたものである点に異るところはない。番犬の管理に関して、飼主に対し、テルが他人等に危害を及ぼさないように、予防措置として要求される注意義務(基準行為ともいい得る。)については、本位的訴因にあっては、被告人において「首輪が抜けないように完全に係留して人畜に害を及ぼさないようになすべきもの」としているのであって、本位的訴因はこれを具体的注意義務として掲げていることが明らかである。これに対し原判決にあっては、同じような表現を用いて「同犬は番犬で気が荒く人に吠えたり、飛びかかったりなどする習癖があるので、特に丈夫な鎖でつなぎ、かつ首輪が抜けないように適度に締めるなどして完全に係留して人畜に危害を及ぼさないように飼育すべき注意義務がある」旨判示してはいるが、右判示するところを、原判決が前叙のごとく、結果回避の可能性について補足説示するところをもって補えば、右判示は、飼主としての基本的かつ抽象的注意義務を説示したものであることが窺われ、被告人が負う具体的注意義務については、「昭和四八年四月中旬ころ飼育補助者であるキク子が新しい首輪を購入して同犬にはめた際、その締め方が緩く、首輪が犬の首から抜けるおそれがあった」旨の判示から窺われる先行する飼育補助者の過失により、既に結果発生の危険性があったのであるから、被告人が休暇により同年五月五日から同月八日までの間自宅に帰っており、その間被告人において同犬を散歩に連れて出ていたことが窺われるところであり、飼育者として通常の注意を払っていれば、首輪の装着の不完全さを発見し、そのまま放置すれば首輪が同犬の首から抜けて、同犬が自由に行動できるようになり、他人に飛びかかったり咬みついたりして危害を加えるに至ることに気付き得る筈であって(予見可能性)、その予防措置として、首輪を適度に締めなおすなどして、飼育補助者の過失を是正し、これにより結果の発生を回避すべき具体的注意義務が存在していた趣旨を原判決全体の構成から判示していることを窺い得るところである。しかして、右の具体的注意義務は前叙の基本的、抽象的注意義務から派生したものであることはいうまでもない。しかし、この派生的具体的注意義務は、本件の場合、他に主たる具体的注意義務があり、これに従属する第二次的、しかもさ程重要でない、派生的注意義務として考察されているものではなく、被告人の過失の核心をなす具体的注意義務として補捉されていることに留意しなければならない。

次に、過失行為(または、実質的かつ正当化され得ない危険を生ぜしめる行為ということもでき得よう。)の点を比較すると、本位的訴因にあっては、被告人がテルを「完全に係留しなかったため首輪が外れた。」というのであって、この趣旨は、首輪の装着や鎖の直結等による犬の係留の仕方が不完全であったため、首輪が犬の首から外れたことを意味するものと解し得るところであって、この過失行為による過失は被告人の単独のもので、飼育補助者の過失との競合によるものとして訴因事実が構成されているものではない。しかるに、この点原判決にあっては、被告人が「漫然とこれを放置した。」と判示しているが、これは前叙のごとく、原判決が結果回避の可能性について補足説明するところをもって補えば、被告人は同月五日から同月八日までの間にテルを散歩に連れ出た際、結果発生の危険を予見し、かつ首輪を締めなおすなどして、飼育補助者の過失を是正し、これにより結果の発生を回避すべきであったのに、不注意からその危険性に気付かず、そのまま放置していた趣旨と解し得るところである。

以上比較検討の結果を要約すれば、本位的訴因の示す具体的注意義務は、原判決にあっては基本的抽象的注意義務として補捉されており、原判決における具体的注意義務は基本的抽象的注意義務から派生したものではあるが、本件被告事件においては、寧ろこの派生的注意義務が被告人の過失の中核をなすものとして補捉されているものといい得る。過失行為については、本位的訴因にあっては、被告人の単独の過失として構成されているのに対し、原判決にあっては、飼育補助者の過失が先行し、被告人は飼主として飼育補助者の過失を是正しなかったものとして認定判示されているのであって、本位的訴因事実と原判決の認定事実との間には、具体的注意義務の態様ならびに過失行為の方法、態様を著しく異にし、その差異の程度は、原判決の認定した事実が本位的訴因事実に当然包含されるべき大は小を兼ねる式の量的差にあるものとは認め得ないところであって、本位的訴因事実からは予想し得ない飼育補助者の過失との競合かつ牽連関係にある定型を異にする過失を認定したものというべきであって、本位的訴因事実と、原判決認定の事実との間には、いわゆる訴因の同一性を欠くものといわねばならない。

これを被告人の防禦の面から考察しても、本位的訴因にあっては、前叙のごとく、具体的注意義務は、首輪が犬の首から抜けないように完全に係留して人畜に危害を及ぼさないようになすべきものとしており、過失行為は、被告人が首輪の装着を確実にせず不完全な係留をしたため首輪が犬の首から抜けたとするものであって、これを防禦者の立場からみれば、この訴因事実を基礎にして、これから飼育補助者の過失を前提として、これとの牽連において飼主たる被告人が飼育補助者の過失を是正しなかったことの非難可能性が問題にされることまで予測して、これに対し防禦を尽すことを期待するのは、いささか難きを強いるものといわねばならない。たとえ審理の進行過程で、特に原審における審理の終結に近い段階で、捜査の段階では明らかにされ得なかった新たな証拠から、飼育補助者の過失の存在が窺われるようになり、これと牽連して被告人が飼い主として飼育補助者の過失を是正しなかったことに非難の可能性が新たに浮上するに至ったとしても、被告人に対しこの新たな事情に対する十分な防禦の機会を与えずして、これに対し直ちに刑責を問うことは、訴因事実と証拠上明らかとなった新たな事情との間の事実面の懸隔が甚しければ甚しい程不意打ちとなるものというべく、かくては訴因が訴訟上本来的に営む防禦上の保障的機能を没却するに至るもので、到底許容されるべきことではない。

しかし、本位的訴因と原判決の認定事実とを、法的評価の段階を異にする観点から考察すれば、基本的事実を共通にし、社会的には同一の事実といい得るので、公訴事実の同一性を肯定し得るので、原判決摘示のごとき犯罪事実を認定するためには、原審において検察官に対し、訴因変更の手続を示唆または促すなどの方法により、手続上必要な方法を講じ、被告人に対し十分な防禦を尽し得る機会を与えたうえで、認定されるべきであって、原審においては、この点十分な審理を尽さなかった違法が観取されるところである。

そこで、原判決認定のごとき事実(補足的説明のうち重要な事実を含む。)を認定し得るために、これに対応する訴因において具備されるべき日時、場所、方法等の事実を考えてみると、「被告人は番犬テルの飼い主としてこれを長崎市戸町二丁目三九番地の自宅屋敷内で飼育していたが、勤務の関係で出張することが多く、平均して月に一、二回程度休暇で自宅に帰っていた状態であったので、テルの飼育、管理については被告人の妻キク子がその補助者としてこれに当っていたところ、昭和四八年四月中旬ころキク子がテルの首輪を新しいものと取り替えた際、尾錠を止めた位置が不適切で、その装着が確実でなく、首輪がテルの首から抜けるおそれのある状態であったうえ、同犬は気が荒く、他人に吠えたり、飛びついたり、咬みついたりする習癖があった。被告人は同年五月五日から同月八日までの間休暇で帰宅していたのであって、その間テルを散歩に連れ歩くなどして同犬の首輪の装着状態等を確め得る事情にあったので、かかる状況のもとにおいては同犬の飼い主としては、同犬の首輪の尾錠の止め位置を変えるなどして適度に締めなおし、首輪の装着を確実にして、同犬が係留から離脱して自由に行動し、他人に飛びかかったり、咬みついたりして危害を加えることのないよう、未然に結果の発生を防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、不注意から首輪の装着の不完全に気付かないまま漫然とこれを放置した過失により、同年六月二二日午後四時三〇分ころ、同犬は犬小屋に係留されていたが、首輪が抜け、自由に屋敷内を歩き回っていたため、たまたま被告人方に松ボックリを探しに来た田原留美子(当時一一年)が表門から四、五メートル入った際、テルが同女の左大腿部および右下腿部に咬みつき、よって同人に対し治療約一ヶ月間を要する左大腿、右下腿部犬咬傷の傷害を負わせたものである。」との事実を一応考察し得るところである。

以上これを要するに、原判決は、審理不尽に基づき、訴因と異る犯罪事実を認定したものといい得るので、結局審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるものというべく、破棄を免れ難い。

よって刑訴法三九七条一項、三七八条三号により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条本文の規定に従い本件被告事件を原裁判所である長崎簡易裁判所に差し戻すべきものとし、主文のように判決する。

(裁判官 真庭春夫 金沢英一 裁判長裁判官藤野英一は差し支えにつき、署名、押印することができない。裁判官 真庭春夫)

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